新潟の田舎に、忙しい両親の次女として生まれる。

当時両親は事業を始めたばかりで忙しかったため、主に祖父母に育てられることとなる。

 

感情面の愛情を祖父からもらった幼少期

小さい頃は寂しがり屋だったらしい。

両親は忙しいので祖父と手を繋いで公園に行き、幼稚園の運動会では親子競技に祖父と出場して1等を取り、寂しくなると祖父が抱っこしてくれるという日々を送り、主に感情面での愛情を祖父からもらって育つ。

物心ついた頃には、大のおじいちゃん子に成長。

祖父が昔軍人だったことは、小さい頃から「おじいちゃんは昔軍隊で戦っていたらしい」と理解しており、竹刀を軍刀に見立てて行進や敬礼を見せてもらったり、入隊時に「甲種」という判定をもらったこと、訓練のこと、休暇中に部下が屋根の雪下ろしをしてくれたこと等、比較的平和な軍隊経験のみを聞いて育つ。

語学に堪能だったという祖父に中国語や英語を教えてもらい、昔覚えたという教科書の文を滔々と暗唱してくれるのを聞くのが好きになる。その他昭和天皇や今上陛下のお名前、今上陛下の弟宮様の呼び方等、あらゆる日本文化を教わる。

朝起きて布団をあげて窓を開け、掃除をしたのちに神棚に柏手をうつ、という祖父の習慣に付き合う日もあり、そんな中で「神棚には神様がおられて、仏壇にはご先祖様がおられる」のだと教わる。「大難が小難、小難が無難になりますように」という言葉と共に、いつも姿勢を正して生活をすることが大切なのだという生き方を、祖父との生活の中で知ることになる。

祖父母と生活を共にした10才までの間に今の私の基礎は全て出来上がったと言っても過言ではなく、語学、歴史、神道、文化、さらには生き方や信条などの私的なことまで、祖父から受けた影響がとても強い。

10才で両親と暮らすことが決まった時、祖父に「これからもずっとおじいちゃんと仲良くしよう」と言われるが、照れ臭くて何も言葉を返せず、その後しばらく祖父母と距離を置く。

 

日本人としての自分に覚醒!

高校2年の夏、ホームステイプログラムで初めてアメリカのカリフォルニア州に滞在し、そこで現在まで交流のあるホストファミリーと出会う。

ホストママは日本によくある名字を名乗っており、先祖が日本人であると教えてくれ、その時に初めて「日系アメリカ人」について知る。その後ママに頼んでLAにある「全米日系人博物館」に連れて行ってもらい、そこで第二次世界大戦中に日系人の強制収容があったことを知り、それが日本で一般的に知られていないことに気づき、漠然とした疑問を感じ始める。

加えてアメリカ人から自衛隊を「Men with guns(ただの軍隊だろ)」と言われたことも重なり、日本の戦中戦後について調べ、一晩で自虐史から脱却。

この頃に、小さい頃から聞いていた祖父の鼻歌が軍歌だったことを初めて知る。

痛烈に「自分が日本人である」と意識した状態のまま、アメリカの大学に進学。

南部の保守的な地域だったせいか、「ジャップ」と呼ばれたり、「日本は俺たちが教育してやった」と言われる経験をして衝撃を受ける。

アメリカ人だけでなく世界中から集まる留学生と交流するうち、どの国の人も当たり前のように愛国心を持っていて、それをお互いに否定し合えば国を背負って喧嘩になるが、逆にそうしなければ「友人」になれるのだと気付く。

嫌な思いをした数度の経験よりも、むしろ日本人というだけで好意的に接してもらえることの方が圧倒的に多く、祖父の代からの日本人達の行動が積み重なった結果、こうして何の苦労もなく好意を受け取っていると思い当たる。

祖父に手紙を書き「おじいちゃんや他の日本人の恩恵を受けていると感じる、私もがんばる」という旨を伝えた際、国際電話で「立派になって驚いた」と祖父に言われ、恥ずかしくてそれ以来手紙が書けなくなる。

 

自律神経失調症と鬱病

10才で両親と暮らし始めた後、特に母親との仲が上手くいかず13才で自律神経失調症を発症。体調のせいもあってか留学を志した当時は当然のように両親の猛反対を受けたが、ある日あっさりと行けることが決まる。

裏で祖父が「これだけ行きたがっているものを、行かせてやる力がないならいざ知らず、行かせてやれるのだから送り出してやった方がいい」と言って両親を説得したのだと、随分後になってから聞く。

充実したキャンパスライフを送っていたかのように見えたが、自律神経失調症は悪化の一途を辿り、19才で一度休学。その際祖父は私と2人きりになった時に「別にアメリカに戻らなくても、ずっとここ(祖父の家)にいてもいいんだよ」という言葉をくれる。

その言葉が逆に支えとなり、復学。

21才で重度の鬱病になり、何度か危ない状況になりながらも卒業が諦めきれず、留学を続行。

鬱病になって気付いたことも多々あり、それこそ死を考えるほど追い詰められた経験を異国でできたことは、今自国の歴史を考える上で大いに役に立っている。

機会は少なかったものの、祖父に改めて戦争の話を聞き、幼少期には知らなかった軍歴や内地帰還のエピソードを知れたことは、今でも良かったと思っている。

 

愛国心封印と二度目の覚醒

最終的には12単位を残して中退し、病状が落ち着かないまま上京して、気づけば軍隊時代の祖父と同じ職である「教育業界」を志す(祖父は軍隊時代教育担当だったそう)。

中退の理由を「金銭的事情」と偽り(完全に嘘ではないが)、鬱病であることを必死に隠し就職。病状は悪化したり良くなったりを繰り返していたが、アメリカで受けていたカウンセリングが功を奏し、日本でも薬に頼らない病院を探して通ったり、カウンセリングを受けたりして完治を目指しながら働く。

日本が大好きであることは会社内はあえて表に出さないものの会話の端々に滲み出てしまうことがあったらしく、度々「思想があるのか?」「右翼?」などと聞かれるうち、日本では「日本好き」がバレると危ないやつと思われると悟り、一切の知識を封印。

1社目に在籍中に大好きだった祖父も亡くなり、いよいよ自分が日本の文化や歴史が好きだったことすら忘れてしまう。

その後転職し、英語専門事業部の立ち上げに携わる。主にビジネスマン向けの英語スクールだったが、そこで辛そうに働く日本人が多いことに衝撃を受ける。辛そうな人に英語を教え、さらに英語が国民を追い詰めることがあるのを何度か目の当たりにして、今度こそ嫌になって独立。

独立後間もなく「私って何が好きだったっけ?」とボケーッとしながら過ごすうち、祖父から聞いた話をいくつか思い出し、神道や古事記、歴史の本を数冊ずつ買って読み始めたことで、無事2回目の覚醒を果たす。

フリーランスとしての活動を広げるために始めたブログで、本業の英語の記事よりももっぱら「日本大好き!」系の記事を書きまくり、それがもう1人のサイト運営者、福富馨の目に留まる。

靖国神社で初対面し正式参拝した後、夕方までぶっ通しで話し続けて2人で「日本再興.jp」の立ち上げを決意、今に至る。

 

国のため、人のため

個人的な夢は人を癒し、国を守ること。

自身の鬱病の経験から自殺者の多さを憂いており、カウンセリングかセラピーを生業にするべく勉強中。

英語の教授法は第二言語習得研究に基づいたもので、科学的な方法に自信を持ってはいるものの、現代の「英語さえ喋れれば」という風潮にはついて行けないと感じている。

言語上達にはメンタルが大きく影響すると確信しており、そのためには自国の文化と歴史に誇りを持っていることが助けになると感じている。

元気な国民を増やし、多くの日本人に正しい日本語と古典を伝えていくことこそが、英語のみを無理にトレーニングするよりも重要だという思いから、英語トレーニングの仕事は後数年で手放すと決めている。

将来の夢は、カウンセラーになること、算命学の鑑定資格を取ること、日本の古典を広めるセミナーを開くこと、この日本再興.jpが軌道に乗ること。

多趣味に見えて根底は「国のため、人のため」に帰結する。

 

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